2023年の紅白歌合戦でも大トリを務めた、歌手のMISIA。
活動25周年を超えて、今や日本の宝とも称される、ものすごい歌唱力ですね。
今後、益々の活躍が期待されるMISIA。
一体どんな人なんだ?
どんな環境で育ったんだ?
アナタも、そんなご興味があるハズ!
MISIAが4才から11年間を過ごした出身地は、
長崎県対馬市の
厳原(いづはら)
MISIAのコンサートにも足を運ぶくらい、熱烈な「MISIAファン」でもあるワタクシが、実際に2022年11月の対馬市の厳原を訪れて撮影した画像も踏まえ、MISIAのルーツをお伝えします。
・当記事に掲載されている画像の無断転載を禁止します
・引用する場合は、リンク先とサイト名「ちゃぱにずむ」を明記ください
MISIAの出身地は、対馬市のどこ?実際に行ってみた!
![MISIAの出身地「対馬」の風景](https://daisuke-10dajie-lifesaver.com/wp-content/uploads/2022/01/3366747_m-333x500.jpg)
では早速、本題。
MISIAの出身地である
長崎県対馬市
厳原(いづはら)
について、お伝えします。
MISIAが住んでいたのは、対馬市の厳原!
- MISIAのご両親ともに厳原病院で医師として働いていた
- 厳原小学校→厳原中学校に通っていた
という情報もあるように、
MISIAは、対馬市の中でも、一番人口が多くて賑やかな厳原(いづはら)に住んでいました。
![MISIAが育った対馬市厳原のメインストリートの風景(2022年11月撮影)](https://daisuke-10dajie-lifesaver.com/wp-content/uploads/2022/11/38787f9e473303387fa339913ff0ed81-374x500.jpeg)
厳原の大通り
八幡神宮&東横イン前
(2022年11月撮影)
対馬市の厳原は、山と海が近いとても自然が豊かで静かな街。
2022年8月28日、日本テレビ放送の「24時間テレビ」では。
MISIAは、EXITの2人と対馬でロケを行なっていました。
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MISIAが24時間テレビに出演した様子を投稿しているインスタグラムには、
といった、対馬在住と思われる方々からのコメントもありました。
これからも、MISIAの活躍が、対馬の地元の方々に「明るい話題」として、届いて欲しいですね!
ちなみに、2022年8月の24時間テレビで、MISIAが笑顔で楽しそうに登っていた遊具のある公園は、厳原港近くにある「いさりび公園」です。
![2022年8月の24時間テレビでMISIAが登っていた遊具のある「いさりび公園」の画像①(2022年11月撮影)](https://daisuke-10dajie-lifesaver.com/wp-content/uploads/2022/11/IMG_FF2B9606DA56-1-1-500x358.jpeg)
MISIAが登った遊具【写真左側】のある
「いさりび公園」
(2022年11月撮影)
![2022年8月の24時間テレビでMISIAが登っていた遊具のある「いさりび公園」の画像②(2022年11月撮影)](https://daisuke-10dajie-lifesaver.com/wp-content/uploads/2022/11/IMG_2AA5183C59A1-1-424x500.jpeg)
![2022年8月の24時間テレビでMISIAが登っていた遊具のある「いさりび公園」の画像③(2022年11月撮影)](https://daisuke-10dajie-lifesaver.com/wp-content/uploads/2022/11/IMG_98BB38E1C7BE-1-387x500.jpeg)
![2022年8月の24時間テレビでMISIAが登っていた遊具のある「いさりび公園」の画像④(2022年11月撮影)](https://daisuke-10dajie-lifesaver.com/wp-content/uploads/2022/11/IMG_5E849C08E64C-1-397x500.jpeg)
足湯と温泉スタンド(10リットル10円で販売中!)があり、厳原港や対馬の雄大な景色を一望できる素晴らしいロケーション。
MISIAのご両親がお勤めだった「対馬いづはら病院」の跡地が近くにあるので、MISIAとしても思い入れのある場所でしょうね。
MISIAが歌唱に目覚めた、厳原の教会は?
X(旧ツイッター)等で確認した結果・・・
MISIAがゴスペル歌唱に目覚めた教会は、
対馬市厳原にある
厳原聖ヨハネ教会
との情報がありました。
Googleマップにも地図が出ます。
コアなファンの方は、気になる所ですよね。
ワタクシも実際に訪れてみましたが・・・(2022年11月時点でも)ちゃんとありました!
![2022年11月に撮影した、MISIAの出身地の対馬市厳原にある聖ヨハネ教会の画像①](https://daisuke-10dajie-lifesaver.com/wp-content/uploads/2022/11/635cd9d1cd10b6780bfce65c3fbbf5ae-500x399.jpeg)
![2022年11月に撮影した、MISIAの出身地の対馬市厳原にある聖ヨハネ教会の画像②](https://daisuke-10dajie-lifesaver.com/wp-content/uploads/2022/11/9bb25e0836960750916278552d784d15-406x500.jpeg)
![2022年11月に撮影した、MISIAの出身地の対馬市厳原にある聖ヨハネ教会の画像③](https://daisuke-10dajie-lifesaver.com/wp-content/uploads/2022/11/966a999caeb4e50f53380bc66e527867-500x363.jpeg)
実際に建物の中へお邪魔してみると・・・いかにも教会らしい風景でした。
![2022年11月に撮影した、MISIAの出身地の対馬市厳原にある聖ヨハネ教会の画像④](https://daisuke-10dajie-lifesaver.com/wp-content/uploads/2022/11/fd6e7d6de570709debec77c40afbd3c3-1-500x350.jpeg)
(2022年11月撮影)
もし、厳原にこの教会がなかったとしたら・・・
「日本の歌姫」のMISIAは、ひょっとしたら存在していないカモ!?
いやーなんとも言えない「巡り合わせ」を感じてしまいますね。
ちなみに、厳原聖ヨハネ教会の近くには、明治時代の小説家「樋口一葉」の師匠と言われる「半井桃水(なからいとうすい)」生誕の地があります。
![(2022年11月に撮影)MISIAの出身地対馬市厳原の聖ヨハネ教会近くにある半井桃水生誕の地の画像①](https://daisuke-10dajie-lifesaver.com/wp-content/uploads/2022/11/9165e42964ca9938c806095a736addbe-1-500x448.jpeg)
対馬市の厳原、ここでもさりげなく有名人を輩出しています。
MISIAの対馬での学校生活は?
これも2018年1月19日に出演した「徹子の部屋」で本人がコメントしていました。
MISIAが住んでいた頃の対馬は・・・
あまり信号機も少ない場所だったこともあり、学校で信号機の渡り方を学習していた(笑)とのこと。
後になって、調べて驚きました。
実はワタクシも・・・
「厳原小学校」で、小3〜小4のMISIAと同じ学年にいました!
ただ、正直な所。
当時のMISIA(本名は、伊藤 美咲さんとの説が有力)が、それほど有名だった記憶は・・個人的にはありません。
おそらく、別のクラスだったと思います。
MISIAが剣道をしていれば、確実に同じクラブだったのですが。
まさにスレスレのご縁(笑)
とはいえ、確かに。
「厳原小学校」では、校内のグラウンドで自転車を運転する試験があった記憶があります。
(超田舎のくせに 笑)交通ルールの教育には、力を入れていた学校でしたね。
2022年11月に厳原小学校を訪れてみると・・・
![2022年11月に撮影した、厳原小学校の画像①](https://daisuke-10dajie-lifesaver.com/wp-content/uploads/2022/11/eba2792963e428338f532452908476e0-417x500.jpeg)
![2022年11月に撮影した、厳原小学校の画像②](https://daisuke-10dajie-lifesaver.com/wp-content/uploads/2022/11/94cf21232da144c29fb21c12762c0f24-500x341.jpeg)
![2022年11月に撮影した、厳原小学校の画像③](https://daisuke-10dajie-lifesaver.com/wp-content/uploads/2022/11/1227464bc636f6ffc61f3bce3ce51905-456x500.jpeg)
本当に何も変わっていませんでした!
通学路ですれ違う厳原小学校の生徒達は、「向こうから」元気よくあいさつをしてくれました。
厳原小学校は山の上にあるのですが、通学路の小道も昔と全く変わっていません。
![(2022年11月撮影)MISIAが投稿していた対馬市厳原小学校の通学路画像①](https://daisuke-10dajie-lifesaver.com/wp-content/uploads/2022/11/ede5ae5916bb4fb26e7b020511767409-327x500.jpeg)
![(2022年11月撮影)MISIAが投稿していた対馬市厳原小学校の通学路画像②](https://daisuke-10dajie-lifesaver.com/wp-content/uploads/2022/11/022ea6fe8004b445673a6428de65f01b-378x500.jpeg)
MISIAもこの通学路を通って、厳原小学校に登校していたのかな?と思われます<当時の通学路は「青道(あおみち)」「赤道(あかみち)」「黄色道(きいろみち)」等々、複数のルートがあったと記憶しています>
そんなMISIAが、厳原小学校に通っていた時代のおやつは?
野いちご!
ツバキの花の蜜!!
対馬の大自然で、ワイルドに過ごしていたようです。
いやー、分かります。
当時の対馬って、都会的な娯楽は、ほぼ皆無。
厳原町にドムドムバーガーがあったくらいかな。。。(確か)駄菓子屋も。
コンビニだって、2016年にやっとファミリーマートができたくらいです。
![MISIAの出身地(対馬市厳原)にあるファミリーマート(2022年11月撮影)](https://daisuke-10dajie-lifesaver.com/wp-content/uploads/2022/01/IMG_C82F60F67B45-1-385x500.jpeg)
(2022年11月撮影)
また、MISIAの小学校時代は。
創立62年を迎える「厳原ジュニア合唱団(2003年に「厳原少年合唱団」から改名)」に在籍し、一番前で歌っていたそうです。
さすがの才能を幼少期から発揮していますね!
MISIAが通っていた、厳原中学校はコチラ。
厳原中学校は厳原市街の北部にあり、校庭に「大きな木」が生えているのが目立ちます。
![2022年11月に撮影|MISIAが通学していた対馬市厳原中学校の画像①](https://daisuke-10dajie-lifesaver.com/wp-content/uploads/2022/11/b0ff64a9f6ec10097ff8bc8602c7aadb-369x500.jpeg)
![2022年11月に撮影|MISIAが通学していた対馬市厳原中学校の画像②](https://daisuke-10dajie-lifesaver.com/wp-content/uploads/2022/11/be326c7234054e67614b9b5c133653c1-431x500.jpeg)
![2022年11月に撮影|MISIAが通学していた対馬市厳原中学校の位置を示す画像](https://daisuke-10dajie-lifesaver.com/wp-content/uploads/2022/11/8f3e2ac4664a4b5923ac18e6fa02c9ea-240x500.jpeg)
厳原中学校には「自転車置き場」があったので、当時のMISIAも自転車通学をしていたのかも?
ちなみに。
小さい頃の夢は「保育士」だったそうで、
好きなことかしない
嫌いなことはやらない
そんなマイペースなお子さんだったようです。
そんなMISIAに、お母さまは
アータ天才かも知れんよ!
何回もやり直せることが大事よ!
と、魔法の言葉をかけてくれたそうです。
そのおかげで今のMISIAがあると思うと・・トテモ素敵なご家族ですね!
MISIAは対馬で釣りを楽しんでいた!
これまた、「徹子の部屋」でのコメントです。
今日の夕食はお魚ね♪
ということで、港で「食べる釣り」をやっていたとのこと。
MISIAこそ、生粋の釣りガール。
コメントの状況からして。
おそらく釣り場の1つは、
厳原港
でしょう。
厳原港は、MISIAのご両親がお勤めだった「対馬いづはら病院(2015年に閉院し、現在は特別養護老人ホームへ改装)」のすぐ近く。
ワタクシも対馬にいた頃。
放課後に同級生を誘って、厳原港でアジを釣っていた記憶があります。
福岡⇄壱岐⇄厳原を結ぶフェリーを横目に、初心者でも非常に釣りやすい場所で釣りを楽しんでいました。
厳原港には海底が見えない深さがあり、実際にのぞいて見ると・・・相変わらず沢山の魚が泳いでいます。
![(2022年11月に撮影)MISIAが釣りをしていた対馬市厳原港の画像①](https://daisuke-10dajie-lifesaver.com/wp-content/uploads/2022/11/IMG_FE84B8749CA3-1-500x352.jpeg)
![(2022年11月に撮影)MISIAが釣りをしていた対馬市厳原港の画像②](https://daisuke-10dajie-lifesaver.com/wp-content/uploads/2022/11/IMG_FFE9E61F21B9-1-500x370.jpeg)
![2022年11月に撮影したMISIAの出身地対馬市厳原港の画像③](https://daisuke-10dajie-lifesaver.com/wp-content/uploads/2022/11/IMG_DC3160611D46-1-500x368.jpeg)
波もなく、広々とした釣りやすい場所。
2022年11月時点の厳原港には、地元の方が釣りをしている光景も。
![](https://daisuke-10dajie-lifesaver.com/wp-content/uploads/2022/11/IMG_9231ED635600-1-379x500.jpeg)
釣りをしている地元男性の車
(2022年11月撮影)
地元の人が釣りに来るということは・・・厳原港は、いまだに釣れる場所ということですね。
当時のMISIAは、
アジ
タイ
キス
クロダイ
等々、美味しい魚ばかりを釣っていた模様。
ワタクシも、対馬で釣りにハマったのでよく分かります。
その当時。
対馬は、年中何かしらの魚が釣れる、「釣り天国」。
本州だと釣り新聞に掲載されるような、
30cmサイズのキス
が、防波堤から簡単にバシバシ釣れていました。
対馬市の厳原を流れる川にも、大きなボラがウヨウヨ泳いでいましたね。
2022年11月時点でも、ボラの小魚やクロダイがフツーに泳いでいました。
![MISIAの出身地である対馬市厳原の中心を流れる川で泳いでいるボラの群れ画像(2022年11月撮影)](https://daisuke-10dajie-lifesaver.com/wp-content/uploads/2022/11/IMG_7F504173CC13-1-429x500.jpeg)
(2022年11月撮影)
やはり対馬、相変わらずの釣り天国!!
ちなみに、その当時から。
MISIAが「帰るよー!」と家族に呼びかける声は、よく響いて透き通っていたようです。
韓国まで50km!対馬は、自然&歴史の島
九州と韓国の間にある、
人口28,502人の島。
(2020年国勢調査より)
韓国の釜山までは50km、福岡までは130km。
年平均気温は約15℃で、温暖。
自然豊かで、漁業や林業、真珠の養殖が盛んな島です。
- ツシマヤマネコ(絶滅危惧種)
- 石屋根の倉庫(日本でも対馬市だけ)
- アナゴの水揚げ量日本一
- 郷土料理の寄せ鍋「いりやき」
- 豪快な魚介料理「石焼き」
↑対馬には、特徴的な名物もたくさんあります。
そんな対馬に住んでいる方々は・・・実に大らかで優しい!!
2022年11月に対馬を訪れたワタクシが、レンタカーで運転をしていると・・・地元の方が、「右折」の際に「道をゆずってくれる」という「神対応」にも出会えました。
都会では、ありえなくないですか?笑
あとは・・・対馬の野良猫も実に人懐っこいですね(笑)
しゃがんで声をかけると、ネコの方から「エサちょ〜だい」って感じで鳴きながら近寄ってきて、モフモフさせてもらえます。
![MISIAの出身地の対馬市(厳原)で遭遇した人懐っこい野良猫の画像①](https://daisuke-10dajie-lifesaver.com/wp-content/uploads/2022/11/afe477e7d70487c11d7481288163facc-433x500.jpeg)
![MISIAの出身地の対馬市(厳原)で遭遇した人懐っこい野良猫の画像②](https://daisuke-10dajie-lifesaver.com/wp-content/uploads/2022/11/7877e09794b9fe3c91b15fa94d2cc4ec-406x500.jpeg)
![MISIAの出身地の対馬市(厳原)で遭遇した人懐っこい野良猫の画像③](https://daisuke-10dajie-lifesaver.com/wp-content/uploads/2022/11/fe193e5666a95a0af63dc0423cad6112-481x500.jpeg)
た・・・たまらん!!
もしアナタが対馬旅行にもご興味があって、かつ「猫好き」であるならば・・・対馬の「猫」は、ぜひオススメしたいスポットの1つです。
MISIAの子供時代は、
マイペース
だったと、MISIA本人が語っています。
対馬特有の豊かな自然や風土が、MISIAの「大らかさ」を育み、その後の歌手人生に良い影響を与えているのでしょうね。
実際に対馬に行ってみて、対馬の風土や人々に触れると・・・そのほんわかした「大らかさ」を良く良く実感できました。
ちなみに。
島の中央にあるリアス式海岸の「浅茅湾(あそうわん)」は、シーカヤックのスポットとしても有名です。
1900年、旧日本海軍がロシアとの戦争に備えて掘削した運河
万関瀬戸(まんぜきせと)
があります。
![MISIAの出身地の対馬の万関瀬戸(2022年11月撮影)](https://daisuke-10dajie-lifesaver.com/wp-content/uploads/2022/11/IMG_8FB22200321A-1-500x371.jpeg)
(2022年11月撮影)
古くから大陸との交流があった対馬。
歴史的にも、朝鮮半島と倭の国をむすぶ交通の重要な場所でした。
いわゆる
防人(さきもり)
の島ですね。
コロナ禍前までは、韓国からの観光客が激増して韓国人だらけに。
中国・韓国資本による不動産爆買いの懸念が、ニュースにもなっていましたね。
「対馬市」は、MISIA以外でも今後注目されていくものと思われます。
実際に、2022年11月時点の対馬では、街中にハングル文字の表示だらけでしたが・・・
2022年11月18日時点の対馬には、韓国人観光客の姿はほとんどありませんでした。
多くの「免税店」は、営業をしていない様子でしたね。
![MISIAの出身地の対馬市厳原にある免税店の画像(2022年11月撮影)](https://daisuke-10dajie-lifesaver.com/wp-content/uploads/2022/11/IMG_0E8984B870E6-1-500x366.jpeg)
休業中の免税店
(2022年11月撮影)
レンタカー店の従業員の方から聞いた情報によると、釜山から来る観光客の流れが止まっているようです。
ワタクシが唯一、韓国人を見かけたのは・・・対馬市厳原の釣具屋に2名見かけた程度でしたね(おそらく福岡経由?)
(2023年2月28日追記)
その後、2023年2月25日より、韓国釜山〜比田勝の国際高速船が3年ぶりに再開しました。
当面は週末中心の運行で、1便あたり最大100名の条件です。
今後、韓国人観光客の姿も戻ってくるのでは?
対馬生まれの有名人は、新庄剛志!
調べていく中で、判明したのですが・・・
対馬市で生まれた有名人に、
新庄剛志がいました!
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shinjo.freedom!最高ですね 笑
あくまでも出生地のようです。
プロ野球界のスターで、今や日本ハムの監督にもなった「ビッグボス」も対馬市にゆかりがあるとは。。。
2022年1月21日放送のフジテレビTV番組
「爆買いスター恩返し」
でも、楽しそうに地元に貢献していますね。
『MISIA』
『SHINJO』
2022年以降、いよいよ対馬がアツイ!かも!?
もしアナタが、
対馬に行ってみたい!!
そう思われたら・・・
ワタクシ、対馬を旅行した体験と感想を記事にしております。
ぜひ、ご覧くださいませ!!
↓あわせて読みたい↓
対馬旅行の感想は?3泊4日で支援付き民泊もガチ体験!2022年11月
![](https://daisuke-10dajie-lifesaver.com/wp-content/uploads/2022/11/IMG_8A729EEAC71A-1-247x300.jpeg)
MISIAの詳しいプロフィール情報
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MISIAの本名「伊藤美咲」が有力
本名:非公開
生年月日:1979年7月7日
身長/星座/血液型:153cm/蟹座/O型ウィキペディア(Wikipedia)より
ウィキペディアやオフィシャルサイトでは。
本名は、「非公開」。
ネット情報を検索すると・・・
「伊藤 美咲(いとう みさき)」という名前がありました。
「MISIA」は、
本名の『MISAKI』と
『ASIA』をかけ合わせている、
というのが、有力です。
1998年にリリースされた楽曲
つつみ込むように・・・
で、デビュー。
ミステリアスで素性を明かさない雰囲気が、よりカリスマ性を高めていますね。
19才のデビュー曲で
いつしか大人の恋に
臆病になってしまってMISIAデビュー曲
「つつみ込むように・・・」
の歌詞より抜粋
と歌っていますが、実に大人びていますね!
5オクターヴ音域を持つ日本の歌姫
5オクターヴの音域を持つ、日本のみならずアジアを代表する歌手
ウィキペディア(Wikipedia)より
さらっと書いてありますが。
コレって、もの凄いです!
一般人の音域が2オクターヴとされています。
並外れた歌唱力です。
2018年1月19日に出演した「徹子の部屋」で本人がコメントしていました。
中学生の頃、変声期で声が出しづらくなった時。
母親から、
高い声は無理矢理出さない方がいいよ
と言われて、歌うことを数年間控えていた時期があったそうです。
そんな中、そろそろいいかなー?と自宅のピアノの前で試した所・・・。
できちゃった♪
とのこと。
その後、数十人のトレーナーに教わりながら。
何度もオーディションに落ちながらも、歌手になったようです。
まさに努力の賜物ですね。
MISIAの家族構成
これも2018年1月19日に出演した「徹子の部屋」で本人がコメントしていた通り、
ご両親、お兄さん、お姉さんがいる5人家族のようです。
MISIA以外は、全員お医者様!!
すごい家族ですね。
お父様が、
離島に最新の医療を届けたい
という思いで、家族で対馬へ引っ越したそうです。
ご両親は、現在の長崎県対馬病院にお勤めでした。
MISIAのお母さま「伊藤 瑞子 先生」のプロフィール
NAGASAKI AJISAI PROJECT HPより
↑1978年7月に第3子出産となっているので、間違いなさそうです。
MISIAの対馬市での活動
幼少期を過ごした、対馬に対するMISIAの想い入れも強いようです。
MISIAは、対馬で様々な活動をしています。
2010年5月、対馬の生物多様性を勉強するために来島。
その後。
ツシマヤマネコといった、対馬の生物多様性をライブやDVDで紹介したり。
SATOYAMA BASKET
というHPを立ち上げるなどして、対馬の自然を応援しています。
今後、歌手以外の活動にも期待大ですね。
MISIAは、髪型やファッションも個性的
MISIAのトレードマークといえば・・
ターバン
ドレッドヘアー
ですよね?
幼少期から教会のゴスペルに触れ。
16才から黒人トレーナーの指導を受けて、歌手になったMISIA。
アフリカへの愛やリスペクト
により、貫いているスタイルと言われています。
ちなみに、ドレッドヘアーについてですが、
- 美容室で全部セットすると5〜6万円!
- お手入れは、無添加石鹸でもみ洗いする
結構手間のかかる髪型のようです・・
MISIAに憧れて、髪型を真似するには。
それなりの覚悟が必要ですね(笑)
中国では「巨肺女王」と称賛される
MISIAの海外活動については。
海外サイトの方が、情報が多かったりします。
中国語圏では、中国メディアからのインタビュー記事なども掲載されています。
↓直近の活動はコチラ↓
2015年8月:
台湾の「台北南港展覧館」での演奏会
“世界好大趴”に出演
2020年1月〜4月:
中国TV「湖南卫视」の音楽番組
《歌手·当打之年》に出演
▶︎プロ歌手8名〜9名によるコンテスト番組
▶︎審査は、500名の聴衆による投票
▶︎MISIAは10回出演中、1位を2回獲得
▶︎1位を獲った楽曲 [明日へ][行かないで]
youtubeで動画が確認できます。
配信当時の2020年2月末は、中国でコロナが流行り始めた頃。
MISIAが歌い終わった後、中国語で「一起加油(一緒にがんばりましょう)」との発言にも心を打たれた視聴者もいました。
真棒!(本当に凄い!)
と、称賛の嵐。
中国では、
米希亚(mi-xi-ya)
と呼ばれ、
別名は・・・
巨肺女王!!
そのまんまで、分かりやすい表現ですね(笑)
MISIAのトンデモナイ声量。
海外でも、称賛されています。
まとめ
MISIAを語る時、MISIAのルーツ=対馬市は絶対に外せません。
元々、MISIA本人の露出は、少なかったイメージですが・・・
ここ最近、MISIA=対馬のセットでメディアに出ている姿をよく見かけます。
引き続き、対馬の認知に貢献して欲しいですね!
対馬は、地政学的にも重要な場所
メディアは、もっと取り上げて欲しい!と感じます。
MSIAがコレだけ活躍しているので・・・そのうち、MISIA記念館とかデキちゃうかも??(笑)
もしアナタが、MISIAのファンならば。
聖地巡礼として、対馬を訪れてMISIAのルーツに触れてみてはいかがでしょうか?
最後まで読んでくださり、ありがとうございました!!